ひな壇の裏とスナックとマザコン
小さい頃、多分幼稚園の頃、ひな祭りに飾られる五段飾りの赤い階段の裏側に出来た三角の空間の中でボーっとするのが大好きで、それは自分の中の一大イベントだったのを、この時期になると思い出す。

変な子供だった。。。
親は全くそうは思っていなかったと思うが、自分としては相当変だった。
五段飾りは当然壁に向かって階段を作るので、中側は暗い三角形の空間だ。そこに懐中電灯を持ちこみ、クマのぬいぐるみを持ちこみ、一人でボーーーーーーーーーーーーッとするのだ。

かなり時間が経って来ると母が心配になって 「マキちゃ~ん、どこ~?」 と叫ぶ。
雛壇の置いてある部屋は暗くなっているので、まさかここでは無いだろうと他を探している。しばらくしてから、私は赤い毛氈(もうせん)をくぐって廊下に出て 「は~い!ここにいるよ~!」 と、元気に答えると、安心して母はまた家事に戻る。
もともとうるさいタイプの子供では無かったので、ぬいぐるみと一緒に家の中をぐるぐる移動してさえいれば問題は無かった。ただ、私はその一年に一度のお雛様の日の1人かくれんぼが大好きだった。特に自分を心配して母が探してくれている様子が少しの時間でも感じられると、幸せな気持ちになった。
子供も大人もほっといてほしい時と、自分を探してほしい時がある。特に私は、母親はいつも自分を見ていてくれるもの、探してくれるものと信じていた。
かなりなマザコンだった。。。
三角の狭い空間にもぐりこみたくなるのも、その中がとても落ち着いて気持ちが良いのも、もともと居た母親の子宮をイメージさせるからかもしれない。
友人が3年ほど前にスナックをオープンさせた。
友人は小学校の頃からの友で、長かった夫婦の別居生活に終止符を打つべく離婚したので、その後無罪放免となり、コロナ禍になる3年ほど前にずっとやりたかったスナックのママになって、半年で成功した。
はじめのうちは慣れないので、さんざんその道ウン十年の先輩からアドバイスを受けていたそうだが、その中で
「ママと呼ばれるからにはもっと堂々と、お客さんを見降ろすくらいの感覚で店にいないとお客が安心しないわよ。」と、言われたそうだ。
「一人で来る人は皆、ママと話をしに来るんだから、貴女は皆のママでなくちゃいけないのよ。」とも言われ 「そんなものですか?」と言うと、
「一人で来てお酒を飲んでボーっとしてるお客さんが居たとしたら、ママはどうするの?ほとんどのお客はね、その時に抱えている問題やストレスをママに聞いてもらったり少しアドバイスされたりしてホッとしたいって思っているの。その時にママは相手を受け止めるだけの落ち着きが無いとダメなのよ。」
と、言われて納得したと言っていた。

現在は、このコロナの状況ですっかりこの業界も変わったとは言っていたが、ママのファンは相変わらず多いらしい。(今は、シールドが貼られて距離が少し出来ているが。。。)
多くのオジサン達は、暗めの照明で自分だけが知る行きつけの小さなスナックが心癒される場所だったりする。
なんだか私のひな祭りのときの階段裏の心境に似ている気がした。人って、いくつになっても母性の存在を求め続けているのかも?とも思う。スナックという場所も、薄暗くてカウンター席がメインみたいな所だ。その狭さが妙に落ち着いて、聞き上手のママ目当てにいい年した男性が一人で訪れる。
お気に入りのお酒とお気に入りのママの居る狭くて暗い空間に、もぐりこみたいと思う気持ちはなんとなくわかる気がする。一人で行けばママにほっとかれたり、時々探してもらったりしてもらえる。
まさに私のひな祭りだ!
人間はいくつになっても、自分の臭いが少し感じられる空間が欲しいんだ。そこは小さくて狭ければ狭いほど良い。そんな穴倉の中で、安心してボーっとくつろぎたい。
でも、くつろぎっぱなしは不安になる。できたら誰かに心配顔で見守っていてほしい。
あ~~あ、どこまでマザコンなんだろう。
友人の店は当時の不況の中、連日にぎわっていたそうで、今もその人気は続いているらしい。
あの時の先輩の言葉通り、みんなのママを目指してると言っていた。
私が今唯一ボーっと出来る場所は、引越しと同時に全面リフォームした自分のマンションのリビングだ。すべて自分にとって居心地が良いように作り直したマイホームは、私のネバーランドと呼んでいる。
数年前に韓国人の夫と出会い今に至るが、夫が不在の時は昔の自分を思い出す瞬間がある。
時々一人でリビングにあるお気に入りの大きなソファに座ってボーっとしていると、亡くなった母が隣の部屋にいるような錯覚に陥る事がある。
「マキちゃん、どこ~~?」 と、呼んでくれないかな?
そんな気持ちが一瞬脳裏をよぎって、また消えて行く。。。